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2007年02月 アーカイブ
2007年02月26日
「サバの味噌煮とキューバの関係」

ちょっとひねれば、新書のタイトルになりそうな感じである。
事実はそんなたいした関係性はなく、
これからキューバに行く
ので、冷蔵庫に残っていたサバの味噌煮を朝食にしただけで、しかも自分で創ったものではなく、缶詰をタッパーに入れ替えて保存してあっただけ。

先日のコメント取材
の為に購入した残り物である。
一緒に冷蔵庫に残っていた納豆と玉子、そして野菜ジュースも一緒にランチョンマットの上に並べると立派な朝食のメニューになっていた。
玉子や野菜ジュースくらいはあるかもしれないが、さばの味噌煮と納豆は、キューバじゃ食べられないだろうなぁと思いつつ、いつもより味わいながら、丁寧に食べる。
キューバの朝食って気になる。
ホテルの朝食だけじゃなく、街の朝食も知りたいところではある。
ただ地元の人は外食はほとんどしないとどの本か忘れたがキューバ本で読んだので、あったとしても外国人向けであろう。
とにかく朝食も含めて、キューバの朝もしっかり感じてこようと思っております。
というわけで一週間程度、朝ブログお休みします。
それでは行ってきます。

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キューバにはチェーン店ってないのかなぁ。
間違いなくマクドナルドがないことだけは確信できる。
キューバ映画「苺とチョコレート」の中でもアメリカのことを「敵国」って呼んでたもんなぁ。

2007年02月23日
「そうめんに子守唄」

友人宅に止まる。
ここには、1歳10ヶ月の子供がいる。
言うまでもなくカワイイ。
もちろん朝食も一緒に食べる。
一緒に「いただきます」を言う。
一緒にレーズンパンも食べる。
一緒に目玉焼きも食べる。
違うのは、僕は紅茶をいただくが、彼女は麦茶を飲む。
もう一つ違うのは、僕は春巻きをいただくが、彼女はそうめんを食べる。
彼女はそうめんを見つめていた。
そしてお椀を持ち上げる。
歌い始めた。
「ね〜むれ〜、ね〜むれ〜…」
カワイイ。
いや、待て。
そうめんにねむれってどういうことだ。
新しい。
面白い。
「そうめんを眠らせてどうする!」
パパが突っ込んだ。
僕はずっと笑っていた。
ママが朝風呂から戻ってきた。
彼女はまだ、歌っていた。
「ウサギさんを眠らせてるんだね〜」
ママが言った。
僕とパパは覗き込んだ。
彼女はそうめんのお椀に乗せたフォークに歌っていたのである。
フォークについているウサギさんに向かって。
もう彼女には、カワイイでは表現が足りず、カワイストと最上級を使いたいくなるのであった。

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ミャンマーで宿泊していたホテルの朝ご飯で、モヒンガというそうめんのような物が出ていたなぁ。

2007年02月21日
「横丁の朝」

横丁が好きである。
賑やかさの中に寂しさが漂っている雰囲気が好きである。
昨日、
仙台の文化横丁で初めて飲んだ。

そして、翌朝、今年一番の冷え込みの中、再び、同じ場所を訪れた。
ここで朝食が食べられるらしいと、昨日、カウンターの隣に座った共同通信の方がおっしゃっていたのである。
もちろんではあるが、朝の横丁に来ることはない。
横丁というのは夜と朝では当たり前だが、全然、違った顔を見せるものである。
夜に見えなかった部分が露になり、建物の傷み具合もはっきりしている。
スキー場のゲレンデでいいなぁと思っていた女の子が、ゴーグルを取った時のギャップに少し似ている。
だからと言って、横丁が嫌いになるわけではない。
開発という潮風にさらされて、傷みながらも堂々と建っている姿を見ていると、ますます横丁が好きになっていくのであった。
朝食はというと、朝食をやっているお店ではなく、朝から開いている定食屋であった。

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自分の中の横丁の定義もはっきりしていない。
これもボルネオの横丁かなぁとも思うのだが、
市場だろと言われても、否定できない。
まぁ、横丁と横町の違いもわからないのだから仕方がないが。

2007年02月18日
「東京マラソン」

「東京マラソン」開催日の朝である。
久しぶりに入れたエスプレッソを飲みながら、窓を開ける。
「出たかったなぁ」とつぶやきながら、まだ雨が残る空を見あげる。
ハーフマラソンデビューから、2年以上経つ。
その後、2回のハーフマラソンに出場したのだが、昨年は一度も出場することがなかった。
その為にも今回の東京マラソンには出場したかった。
しかも銀座や浅草など東京の名所をいろいろ巡っていくのだそうだ。
車や徒歩で感じる東京の街と、走って感じる東京の街とでは、それぞれ街の感じ方が全く違う。
抽選で出られなかった人も多いのだそうだ。
何とも悔しい。
来年は参加の応募をしようと思うイシコであった。
はい。応募もしていませんでした。
走りたい前に基本的なことを忘れているイシコであった。

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このバギーに乗っての街の目線も全然、違うだろうなぁ。

2007年02月16日
「テクノ美女」

朝の電車の中でヘッドホンからの音漏れが気になった。
クラシックやジャズなど耳障りにならない曲ならいいが、たいていは、ハードロックだったりヘビメタだったりする。
まぁ耳障りにも好みがあるから、クラシックやジャズが耳障りで、ハードロックやヘビメタの方が落ち着く人がいても不思議ではない。
僕自身、ときにはハードロックやヘビメタが聞くときもあるが、僕にとっては聞きたくないときのハードロックやヘビメタは、やはり耳障りである。
こればかりは仕方がない。
しかし、本日、音が漏れて聞こえてきたのはテクノである。
微妙である。
そこまで耳障りでもないと言いたいところだが、耳障りと言われれば耳障りである。
しかし、音の漏れている方向を見た瞬間、耳障りという表現を忘れてしまう。
美女なのである。
美女がテクノを聞いちゃいけないというわけではもちろんない。
そのギャップを言っているのである。
もう音漏れ問題などどうでもよくなってしまうのだ。
why?
思わず英語を使ってしまいそうだった。
どうして、あなたがテクノなの?
思わずひざまずいてしまいそうだった。
しかも清楚な服装の美女なのである。
その格好はクラシックかきれいな歌声の女性ヴォーカルじゃないのか。
音漏れ現象の場所違いではないかと何気なく周囲を見回したが、やはり彼女からのようである。
風貌と音楽のジャンルのギャップは音漏れを気にさせない。
僕も老人になったら、ガンガンヘビメタを鳴り響かせながら電車に乗ってみようかなぁと思う。
「あの人、耳が遠いから仕方がないよね」
と言われそうだが…。

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「ヴィトンに行こう」と言われて、到着したら、この店だったというくらいのギャップだったのである。

2007年02月14日
「ホワイトマンの朝」

ホワイトマンのまま朝を迎えた。
何故?と思われる方はお手数ですが、ホワイトマンのHPを見ていただくとして、とにかくここでは白塗りのまま眠って朝まで迎えたときのお話である。
正直、これだけ塗ったまま時間を過ごすと塗っているのか塗っていないのかわからなくなる。
以前も体験していて、この話をすると異論反論があるらしいのだが、僕の場合はやはりわからなくなる。
起きたら、普通に顔を洗おうと洗面台の前に立ち、いつもと同じように水を出してから、顔の様子を確認する。
顔の様子を確認するところで
「あっ!僕、ホワイトマンだったっけ?」
と水を止めるというわけである。
後、どれくらい白塗りでいるのか?
正直、わからない。
気の向くまま映像のままにといった感じであろう。
どちらにせよ夕方の打合せまでには、素顔に戻ろうと思っている。

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鏡に映ったのがこんな顔じゃなくてよかったけど…。

2007年02月11日
「鳥が見つけられない」

連載している「散歩の新兵器(雑誌と平行で月2度程度のブログもある)」で、双眼鏡をいただいた。
これで僕もバードウォッチングをめいいっぱい楽しむぞ。
と意気込んで、朝の散歩のときに持ち歩いて、声が聞こえると、すぐに探すのだが、なかなかうまく見つけられない。
ずっと双眼鏡できょろきょろしていると困ったことが起きた。
人に声をかけられるのである。
それはいい。
人見知りの僕は、こちらからは声をかけられないが、向こうから声をかけられればそれなりに愛想良く返す自信はある。
しかし、
「おにいさん。何か面白い鳥がいるの?」
40近いおじさんが、おにいさんと声をかけられて気分はいいのだが、面白い鳥なのかどうかはわからない。
ましてや鳥の名前を聞かれたら全くわからない。
「新しい双眼鏡をいただいたので使うことが楽しいんですよね」
と正直に言うとおばさんは何と答えていいのか困ったような顔をする。
お互い困った顔でもじもじしている姿は、鳥からはどう映っているのだろう。

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これくらいわかりやすければ、すぐに見つかるし、鳥の色の話だけでも続けられるのになぁ。

2007年02月09日
「筋肉痛の朝」

松山で筋肉痛の朝を迎える。
筋肉痛には訳があって、昨日、松山駅前のバッティングセンターでバットをぶんぶん振り回したからである。
初めて、松山に来た時、僕は、子供ショーで旅をしていた。
友人の劇団新感線の吉田氏が子供ショーのデビューが松山ということで、当時は、「兄さん」と呼ばれていた僕が先輩として付き添いで来たと息がつまりそうな文章で申し訳ありません。
わかりやすく言うと行ったことのなかった松山に行きたくて、ついてきてしまったのである。
うっとしい先輩である。
今だから言うが、子供ショーより、鯛めしを食べ、地酒を飲みたい方が強かったのである。
こうして最低なイシコ兄さんは、デビューを翌日に控え、緊張している吉田氏を無理矢理、飲みに誘ったのだ。
吉田氏は乗り気ではなかったが、兄さんの誘いだからとつきあってくれた。
ちょうどホテルの近くが繁華街だったこともある。
酒も入り、僕の好奇心は留まるところをしらず、
「もう一軒行こう!」
とタクシーに乗り込んだ。
先輩失格である。
「兄さん、どこ行くんですか?」
「松山駅を見に行く。運転手さん、松山駅お願いします」
今から思っても、何故、僕は駅に行きたかったのかは判らない。
松山市駅とJR松山駅を間違えていたのかもしれない。
松山市駅なら、栄えていたのに。
とにかく僕らはJR松山駅に向かった。
降りる寸前、タクシーの運転手が言った。
「松山駅は何もないですよ」
僕らは閑散としている松山駅の前に降り立った。
確かに飲屋街など存在せず、バッティングセンターだけが目に入ったのである。
仕方なく、酔っぱらった身体で僕らは、バットを握った。
吉田氏はバットを振りながら、子供ショーのリハーサルを始めた。
僕は、バットを振りながら、観客の子供役になった。
こうして子供ショーのリハーサルが終わるまで、何度もコインを入れ、僕らはバットを降り続けた。
その思い出のバッティングセンターが変わらず(ひょっとしたら改築しているかもしれないが)今も残っていることが嬉しく、思わず、バットを握ってしまったわけで。
変わったのは、吉田氏が僕の呼び方を「兄さん」から「イシコ」になったことである。

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今も代書を頼む人がいるのか、それとも代書の意味合いが変わってきたのか。
今回の四国旅で最後に考えた看板である。