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2007年01月31日

「任天堂DSと格闘する朝」

周囲が飽きれる程、機械音痴である。
そんな僕が今日の朝、ずっと任天堂DSと格闘していた。
思うように動かないのである。
いや表現が間違っている。
思うように動かせないのである。
昨日、新宿をぶらぶら散歩していた。
先日も書いたが、連載用に任天堂DSと連動した万歩計をいただいた。
これがかなり楽しい。
僕は任天堂DSを持っていないので、任天堂DSにはまっているパートナーのチホに借りていた。
ただ、いつもいつも借りれる訳ではない。
買えばいいのだが、任天堂DSは、いつも売り切れでなかなか買えないのだそうだ。
チホと興味半分で、ふらりビッグカメラに立ち寄ると、お兄さんがトラメガを持って叫んでいた。
「DS緊急入荷しました。お一人様一個限りでお願いしま〜す!」
ラッキーである。
というわけでゲームをほとんどやらない僕の手元にDSがやってきた。
これを期に様々なゲームをやってみようかなぁと思う。
ただ、万歩計のソフトの設定さえ、未だうまくできていない。
どうやらゲーム以前の問題のようである。

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海外の公衆電話もまともに使えない僕が、ゲームなどできるのだろうか。

2007年01月29日

「3分10ラウンドと30分1本勝負の違い」

朝、出掛ける前の3分と、夜、寝る前の3分では同じ3分でも違う。
そんな3分について考えるのが好きである。
今日も、朝、お茶を入れるお湯が湧くまで考えてみた。
ただ、今日の3分についての考えというのは、長さというより連続性の話である。
「何だ?難しそうだな?」
と言われそうだが、イシコにそんな難しい話が出来る訳はない。
昨日、知人のプロレスラー西村選手と彼の団体に参戦した川田選手との試合を観た
この試合は、お互いがルールを譲らなかったことが話題になった試合である。
西村選手は3分10ラウンド、川田選手は60分1本勝負を要求した。
結局は、譲らないまま試合を迎え、リング上で抽選ということになり、西村選手の3分10ラウンドになったのだ。
そこで今日の話になるわけである。
観客の目線から行くと3分の物語を10個観るか、60分の物語を1つ観るかの違いである。
3分の物語はボクシングではあるが、プロレス(K1やプライドなどの格闘技とは違う)では珍しい。
恐らくプロレス好きな人からすると60分の物語の方が死闘感が漂い、その闘いを観ることにも慣れているので、そちらを観たいのかもしれない。
ただ、昨日、プロレスの3分の物語を10個観るというのを僕は初めて体験し、これも悪くないと思った。
2ラウンドはロープ際の攻防、5ラウンドはグラウンド戦、7ラウンドでは場外での張り手対決、8ラウンド終了後に西村氏は倒れたまま、10ラウンド四の字固めの意地の張り合いと一つ一つのラウンドが物語になっているのである。
ショートムービーを続けて観ている感じである。
しかもインターバルの間に流れる音楽もきちんと考えられているので、気持ちの高揚感もある。
固定概念があるプロレスファンは、そのインターバルの音楽の入り方に戸惑っている様子が感じられたが、固定概念がない客は自然に手拍子をしていた。
周りがしていないのですぐにやめてしまうのだが…。
プロレスの専門家でも何でもない僕が言うのも何だが、西村選手の理想とするスポーツと音楽の関係性を突き詰めたプロレスの可能性を見た気がした。
後は見方が観客に伝われば、これは面白いと思う。
って3分の連続性の話はどこに行ってしまったのだろうか。
まぁ、長くなってしまったのでまたの機会に。
「3分」というテーマで1ヶ月ブログを書きたい程あるのでご心配なく。
誰が心配するんだって感じだが。

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第4試合で僕が小学校時代に観たグラン浜田対藤波辰爾の試合も観ることができたのは嬉しかった。

2007年01月27日

「万歩計と朝散歩」

「散歩の新兵器」の連載で、今月はハドソンの万歩計を渡された。
任天堂DSのゲームソフトと連動しているという。
歩けば歩く程、自分の飼っているペットがいいキャラに育っていくらしい。
歩かなければ歩かない程、自分の飼っているペットは太っていき悪いキャラに育っていくらしい。
撮影中、ペットは、イシコが16年つきあっている彼女の名前「ちほ」と名付けられた。
「ちほ」がいいキャラになるか、悪いキャラになるかは、僕の足にかかっているのだ。
何だかとても優位に立ったような気持ちになり、撮影に同行していたちほに、その旨を伝えると
「ふ〜ん。悪いキャラにするつもりなんだ?」
相変わらず抑揚のない声で言う。
その抑揚のない声が逆に怖い。
「しません」
きっと僕は歩くだろう。
どこまでも。どこまでも。
というわけで今日も朝の散歩で1時間以上、歩いてしまった。
とはいえ、朝の散歩の楽しみが一つ増えた気がする。

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どこまでもどこまでも駆け上がるだろう。駆け上がらなくても歩けばいいんだけどね。

2007年01月26日

「朝からメガマック」

午前10時30分、メガマック発売開始。
最近、ほとんどマクドナルドに行かなくなってしまった僕がどうしても一度、食べてみたい商品がメガマックだった。
「マクドナルドのハンバーガーを死ぬ程、食べてみたいねぇ」
高校時代、部活の帰り、お腹がペコペコの僕と武藤君は、自転車を漕ぎながら、言ったことがある。
今の僕が高校生の僕に会うことができたら、
「メガマックで試してごらん。それで充分だと思うけど」
と言うだろう。
「わかってないなぁ。目の前にたくさん並べられたハンバーガーを食べたいんだよ」
高校生の僕は、今の僕にこう反論するかもしれない。
「いざ見たら食べられないものだよ。2年程前に僕が挑戦した「スーパーサイズミー(寿司編)」を見てみなよ」
変なところで負けず嫌いな僕は、高校生の僕に言い返すに違いない。
「見たよ。でもあれは寿司でしょ?ハンバーガーでやってからそういうこと言ってよね」
大人ぶったことを言って当時、姉から反感をかっていた僕は、今の僕にこう吐き捨てるに違いない。
肉4枚重ねのメガマックを口に放り込みながら、僕は高校生の僕といつまでも想像討論するのであった。

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メガマックとは何の関係もありません。
あくまでイメージである。
ふと「楽園ゴルフ(ハワイ編)」で一緒だったGDOの善哉さんは元気かなぁと思っただけなのだ。

2007年01月24日

「ニューヨークで迎えた徹夜明けの朝」

「カンバセーションズ」の試写に行く。
舞台はニューヨーク。
アーロン・エカッート扮する男性の妹の結婚式で元妻とばったり会い、焼けぽっくりに火がつきそうで、結局は火がつかない一晩のお話である。
タイトル通り、二人のリアルな会話を元に物語は進行していく。
一緒に朝を迎え、主人公は自宅に戻り、元妻は現在の夫と一緒に住むロンドンへと戻る。
徹夜明けで別々のタクシーに乗り込む二人の姿を見て、ふと徹夜明けのニューヨークで迎えた朝を思い出した。
それは5年程前、9.11テロの直後にニューヨークを訪れた時のことである。
そのときのニューヨーク滞在はファンクショナルアーティストの福永氏のマンションにお世話になることになっていた。
その家には末期癌の1匹の猫が同居していた。
メールによると、ほとんど眠っていることが多いということだった。
僕が夜遅くに到着した時、その猫は奇跡的に目を覚まし、しかも出迎えるように立ち上がり、玄関までやってきたのである。
見知らぬ来訪者を迎えた後、猫の様子は急変する。
すぐに福永氏とタクシーで動物病院に向かった。
もちろん、既に夜中なので、救急病棟である。
優しそうな女性のドクターが猫をさすりながら、英語で話していた。
英語がわからない僕は、福永氏が泣く背中からドクターの言葉を読み取ろうとした。
どうやら今、注射を打っても持って後1日。
腹水も溜まっているので猫は、ものすごく辛い状態。
このまま天国に行かせてあげた方がいいのではと言っている感じである。
ただ、最終的には飼い主が判断しなくてはならない。
「しばらく考えてみて」
ドクターはそんな感じの言葉をかけて外に出て行った。
沈黙の中、うなだれたままの福永氏、意識不明の猫、会ったばかりの猫を見つめ続けるイシコの3体が無機質な部屋で沈黙の時間を過ごした。
「決められないよ。イシコ、判断してくれないかな」
福永氏が口を開いた。
「え〜、僕が猫の死を決めるのは嫌だよ!」
そう言いかけたのだが、その判断を福永氏ができないのである。
しばらく猫を見つめていた僕は、残り1日の苦痛より、1日早い天国への切符を選んだ。
ドクターは戻ってきて、その旨を知ると正解とでも言うように大きくうなずいた。
動物病院を出ると空は白々と明けていた。
僕には、ほとんど経験することのない徹夜明けの朝だった。
手をあげてタクシーに乗り込むと身体中に鉛がついているような感覚が残った。
映画のクレジットロールを眺めながら、その頃のことを思い出すのであった。

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建物に太陽が当たり始めて、こんな空だった気がする。

2007年01月22日

「飲み物を頼まないまま喫茶店に居座る勇気」

朝、品川駅構内の喫茶店で帯広在住のデザイナー小川氏とお友達の方々とプロデューサーの古田氏と雑談をしていた。
DVDで「ポセイドン」を観ていて遅れてしまった僕がいけないのだが、店に到着した時には10時からの別メニューの準備中でドリンクが頼めない時間帯だった。
当然のことながら、先に来ているみんなの前に飲み物が置かれているのに僕の前には飲み物がない。
特にそれで誹謗中傷を受けるわけでもなく、仲間はずれにされるわけでもないのだが、気の小さい僕はどこか気になってしまう。
「あいつ飲み物も注文しないで居座りやがって」
と店の人に思われているのではないかと気になってしまう。
かと言ってコーヒーは、来る前に映画を観ながら、2杯も飲んでしまったので、もういらない。
ここは一つ朝ビールをいただきたいなぁと思うのだが、
「まだビールはありません!」
と店の人に軽蔑の眼差しで見られたらいたたまれなくなりそうである。
などと思いながら、結局、2時間近く居座ってしまったわけで。

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空に向かって「ビール!」って叫びたかったイシコであった。
全ては遅刻した僕が悪いのです。

2007年01月21日

「朝と麻」

リネンのケットで、朝を目覚められたらなぁと思う。
と知ったかぶりをしているが、昨日、六本木ヒルズのイベントで帝国繊維の佐光氏からリネンというのは、素材の種類だということを教えていただいたからである。
リネンのシーツという言葉をよく聞く。
フランス在住の友人が「フランス人はリネンのシーツを毎年、1月に変えるんだよ。真っ白な気持ちでね」と言っていたのを思い出す。
そのリネンなのだが、実は高級素材なのである。
「実は」と僕が言わなくても既に皆様は知っているかもしれない。
ともかく僕は知らなかった。
日本ではリネンという表示はしないで、麻という表示になってしまうのだそうだ。
よってヘンプやラミーなどとの「麻」の種類と全て一緒の扱いになってしまう。
アパレルメーカーは、リネン糸で創ると高価になってしまう上、どうせ同じ麻の表示になってしまうのだからとリネンより品質の落ちるラミーの糸で創ってしまうことがあるそうだ。
恐らく、そういった結果が「麻」と聞くとゴワゴワした感覚を持ってしまうのかもしれない。
とまぁ、全て佐光氏から聞きかじったことである。
とにかく近いうちにリネンのケットを買いに行くことにしよう。

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思えば、ここにもリネンが使われていたかも。
いやコットンだったかなぁ。
それを確かめるために今年もチェンマイのバーンロムサイに出掛けたいなぁと思う。

2007年01月20日

「ホワイトマンの朝の映像は面白いか?」

マネージャーの松本氏に12月24時間撮影した「こたつ」の映像を見てもらう。
今年、僕がやりたい「日常の中の非日常」を表現したい「こたつ」が、今のままだと自己満足になってしまう恐れがあるので、意見を聞きたいと思ったのである。
「イシコはどこが面白いと思ったの?」
松本氏が聞いた。
「早回しして、窓が朝になっていく中で眠っているホワイトマンの絵って面白くない?」
僕は興奮しながら話をした。
「その部分は面白いけど、他のシーンは、私が話で聞いて予想していた面白い映像とイメージが違うなぁ。何かあまりにも日常すぎるんだよね」
そう言われればそうである。
あまりに普通すぎて大学生が、ふざけて、やっているように見えてしまう。
「う〜ん」
みんなでうなった。
「日常生活の中に白塗りがいるって楽しいんだけどなぁ」
「この部屋の色合いだと白がわかりにくいよね」
確かに壁が白かったり、家具や布団の色合いでホワイトマン生活の「白」という部分が強調されていないのである。
まだまだ課題は多いが、中継予定の3月頭まで、まだ時間はある。
まずは部屋は多少、演出を加えてもう一度、実験で撮って生活してみることにする。

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「日常の中の非日常」感覚の一つ。
普通なんだけど、よく考えるとこんな便器の配置はないじゃないですか。
ってわかりにくいですよねぇ…。
まだまだ先は遠い。

2007年01月18日

「車は生き物」

新媒体「vagance」の連載取材でデザイン会社を経営する岡本社長と久しぶりに会う。
彼とはミッレミリアという4日間で1600キロ走るクラシックカーのレースに二度程、出場している。

ミッレミリアの話をしていたら、レース中の朝を思い出した。
毎朝、二人でホワイトマンに変身してから駐車場に行き、ボンネットを開けて、プラグの状態やファンベルトの緩みなどを点検する。
見ると言っても僕は車の知識がほとんどないので役に立たない。
言われた工具を渡したり、車を磨いたりする。

レース中の朝を思い出していると、最近、自分の車のボンネット開けていないなぁと思うのである。
最近の車は性能もよく、コンピューター制御だったりもするので、ボンネットを毎朝、開けてチェックしてから出掛けることなど、ほとんどない。
そう考えると昔の車の方がどこか生き物に接しているように感じる。
ボンネットを開けて、毎朝、状態をチェックしているうちにどんどん愛情が湧いてくるのも自然である。
「アンジェリーナ」と名付けられたチンクエチェントは、今も健在である。

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岡本氏の所有する1967年製チンクエチェント「アンジェリーナ」
ルパン三世に登場していた車である。

2007年01月16日

「改めて八ヶ岳の朝に感動する」

この朝プロジェクトがテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の取材を受けることになったそうだ。
そこで朝マイスターでもあるイシコも一応、ホワイトマンで参加させていただく。
ただ、ホワイトマン、テレビ、ビジネス番組と梅干しと天ぷらの食い合わせより悪い組み合わせになったものだなぁと不安を抱えながら八ヶ岳に入り、白塗りをする。
白塗りのまま、氷点下の八ヶ岳の朝の空気の中を歩く。
風もなく気持ちいい冷たさが心地いい。
そして改めて八ヶ岳の朝の風景に驚かされるのである。
「富士山を観ていたら、僕のちっぽけな不安や悩みがバカらしくなってきたよ。ハハハ!」
殴り合いの喧嘩の後に堤防の土手に寝転んだときに吐きそうな台詞を聞くことがある。
「そうだろね。ハハハ!」
こちらも乾いた笑いを発しながら、相づちをうつ。
そもそも何故、笑わなくてはならないのかがわからないが先日もそういった話を聞いた時に、やはり僕らは何故か笑っていたのだ。
漫才師「こだまひびき」のネタの
「そんなことあらへんやろ!」
と心のどこかにあるから、出てくる乾いた笑いなのかもしれない。
しかし、八ヶ岳から見える富士山を観たら、この台詞を吐くかもしれない自分を感じたわけである。
そして、「赤岳」なる名前の通り、朝陽があたっているほんの数十分間、山が真っ赤になるのを観ていたら、そうに違いないと思った。
そもそも何を不安に思っていたのかも忘れてしまうのだが…。

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読者の方で、冬の八ヶ岳を味わったことのない方は是非!一度、お試しあれ。

2007年01月12日

「カミソリで丁寧に髭を剃る」

ホテルの露天風呂で、ゆっくり朝風呂に入る。
脱衣所で着替えていたら、髭を剃っている男性がいた。
そういえば、ここ何年もカミソリで髭を剃っていない。
シェイビングクリームも置いてある。
このシェイビングクリームという代物がカミソリで髭を剃る心地良さを演出してくれるのである。
よくカミソリだけ置いてあるホテルがあるが、それだけだと僕の皮膚はすぐにカミソリ負けをしてしまい、ボクシングや喧嘩でもした後のような絆創膏顔になってしまう。
さて何年か振りにカミソリで髭を剃ることにする。
まずは大きな鏡の前に立ち、改めて水で髭を湿らせる。
その上にシェイビングクリームを塗りたくっていく。
偽物サンタのような白い髭男が出来上がる。
続いて、これまた近くに置いてある使い捨てカミソリを手に取り、ゆっくり髭を剃っていく。
これだけ自分の顔をじっくり鏡で見て、髭を剃ったことがあっただろうか。
シェーバーで髭を剃るときは、手で髭の感触を確かめながら、鏡を見ないことさえある。
たとえ見たとしても髭の部分だけだろう。
鏡と向き合って丁寧に髭を剃る心地よさ。
この感覚は病み付きになりそうである。

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ヨガウェアで知られるこのブランドのロゴを見ると、髭を思い出すんだよなぁ。

2007年01月08日

「教会と鳥肌」

午前中の飛行機で沖縄に飛ぶ。
機内で流れている「リベラ」というソプラノボーイの音楽を聞く。
この少年達の透明感のある声が、飛行機の窓から見える雲の絨毯とメチャクチャ合う。
この声を教会で聞くことを想像し、勝手に鳥肌を立たせる。
カトリックとプロテスタントの違いも説明できない僕の口から教会という言葉が出るのは調子よすぎるかもしれないが、やはり、教会で聞く音楽はいい。
何年か前までは、毎年、クリスマスになると品川の教会で声楽家の友人の声を聞いては鳥肌を立たせていた。
一昨年、プラハの教会でチェコの友人が参加する管弦楽団コンサートを聞いたときももれなく鳥肌を立たせていた。
恐らく、教会で聞く音楽というのは音というよりも波動を感じるのだろう。
そういえば最近、教会に行っていない。
今年は旅の朝に教会に出向き、ゴスペルを体感してみたいと思っている。

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教会は入って、ボーッとしているだけでも心地いい。
僕は旅先で昼寝の場所に教会を選ぶこともある。
罰当たりなのはわかるのだが、それくらい気持ちがいいのである。
これはプラハの教会。

2007年01月07日

「ゴミが消えるまで」

年末の大掃除で出たゴミが大量にあるのだが、出せないままになっていた。
東京に戻ってきて、最初の仕事と思ってもいい。
と部屋に戻るまでは覚えていたのに、起きたときにはすっかり忘れていた。
それでもいつもならゴミ収集車の音で思い出すのだが、今日に限って何を思ったのか、ロフトの上でファット・ボーイ・スリムの音楽をガンガンかけ、イシコの交遊録をまとめて書いていたのである。
しかも外は暴風雨である。
ゴミ収集車の来る音どころか、インターホンの音さえ聞こえないかもしれない。
結局、僕は、ゴミを出すことができなかった。
しかも明日から沖縄である。
しばらく大きなゴミ袋の集団は、自宅の置物になりそうだ。
救いは生ゴミじゃないことである。

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日本も最近、デザインのいい公共のゴミ箱が出て来たが、やはり海外のゴミ箱って、どこかカッコイイよなぁ。
これはマドリッド。

2007年01月06日

「星が消えるまで」

昨日の続きである。
初サウナを楽しみ、初ジャグジーを楽しんだ後、初露天風呂に向かう。
露天風呂に入ると、空はこれから朝を迎えようとしていた。
そんな中、星がまだ一つ輝いてた。
一番星の逆で一番残星である。
夕陽が落ちる瞬間は、今まで何度も見たことあるが、星が消える瞬間は見たことがない。
夜空の星を見ながらの露天風呂も何度か体験したことはあるが、夜空の一つの星を見続けながらの露天風呂は体験したことがない。
ここは一つ露天風呂で朝を迎えると同時に消えていく一つの星を見続けようと思った。
一つの星を見続けていると様々な哲学的なことや詩的なことを考えていることに気づく。
しかし、何より意外に星がなかなか消えないことで、僕がのぼせてしまうことの方に気づく。
とはいえ、こんな機会はそうそうあるものではない。
のぼせてもいいではないか。
一番残星が消えるまで露天風呂から出ないことを改めて誓う。
のぼせそうになると風呂から上半身だけ出し、岩場に座って見続ける。
空はどんどん明るくなっていく。
30分以上になると思う。
それでも一番残星は、しぶとく残っている。
こうなると哲学だとか詩的だとか言っていられない。
とにかく早く消えてくれと願うばかりである。
「少しづつ小さくはなってきているだろ」
と星が言っているように見える。
「しかし、まだ僕の目に見えている限り、この露天風呂から出られないのだよ」
と心の中で星に言い返してみる。
そう会話してから、15分程経過しただろうか。
ようやく一番残星は消えてくれた。
何かを成し遂げたように、ゆでだこイシコは露天風呂を後にするのであった。

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今度は月が消えるまでというのに挑戦してみようかなぁ。

2007年01月05日

「初朝風呂に向かうが…」

フリーペーパーを読んでいたら、5キロくらい先のスーパー銭湯が朝風呂サービスをやっている広告が掲載されていた。
しかも半額。
早起きは三文の得ではなく、500円の得である。
よし!行ってみるか!と前の晩、母と姉を誘うが、
「私はパス!」
「私もパス!」
ということでイシコ一人で行く。
朝4時30分起床。
何だか外が明るいぞと思いきや、きれいな月明かりである。
コーヒーを持って、姉の車を借りて走らせる。
実家を離れ、一人暮らしを始めてから早いもので20年が経つ。
言い換えれば、高校生までしか岐阜にいなかったということである。
高校生までの行動範囲がいかに狭かったが、一人で走っているとつくづく感じる。
すぐにわからない道に突入してしまうのである。
とはいえ、その銭湯の近くには観覧車が回っているから、そこを目指して向かっていけばいいやと思っていたのだが、朝5時前では電飾の明かりもついておらず、目印も見あたらないのである。
挙げ句の果てには自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。
こういった時、電灯のない田んぼ道程、不安にさせることはない。
少々、寝ぼけていたら、ここがモンゴルの草原の中だよと言われても、信じてしまいそうである。
5キロということは、本当なら10分程度で到着するはずなのに、15分車を走らせても手がかりさえ見つからない。
徐々に焦り始める。
とは言え、死ぬ訳ではない。
コーヒーもあるわけだし、最悪は日の出を待って行けばいい。
両目1.5の目を暗闇の中に慣れさせ、じーっと遠くを見つめてみる。
遠くにかすかにぼんやりと見える白い観覧車。
「あった〜」
方角も間違えていたのである。
とはいえ、何とか初朝風呂に辿り着いたわけで…。
めでたし。めでたし。

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最近、観覧車って乗ってないよなぁ。
これは名古屋の栄にある観覧車である。

2007年01月03日

「家畜祈願と弁財天」

千手観音と聞くと僕は朝に合う観音様だと思う。
午前中、愛知県犬山市にある寂光院に行く。
1350年前に建てられた尾張の最古刹として知られているそうだ。
心地よい寒さを感じながら本堂までの階段を、ゆっくり登る。
こうして美しい千手観音とご対面して、じっくり眺めてからお参りをする。
院内には、ご利益がありそうな建物が点在している。
「ぼけ防止」
と書かれたところで母親に勧めて怒られる。
弁財天の文字を見つけ、あさましい僕は、
「お金、お金…」
鼻息を荒くして、一目散にその方向へ足早に向かう。
お賽銭も奮発し、熱心にお参りしていると姉が一言。
「どうして、そこをお参りしとんの?」
岐阜弁バリバリで言った。
賽銭箱の近くの柱を見ると
「家畜安全・ペット祈願」
と書かれていた。
イシコの家には家畜もペットも居りません。
「お〜い。家畜の神様〜。お金を弁財天に回してくれ〜」
家畜の神様にお願いして、手前の小さな弁財天にお参りに向かう罰あたりなイシコであった。

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家畜の神様は、こんな風に怒っていたかもしれません。

2007年01月01日

「2007年最初に口にした物」

朝、起きたらお腹が空いていた。
昨日の夜から何も食べていない。
普通であれば当たり前のことである。
しかし、昨日は、神田明神の初詣に行き、ほんの数時間前、午前3時まで起きていたのである。
この時間まで起きていることなど、イシコにとっては滅多にない。
夕食を食べてから6、7時間は経っているので、自宅に戻ると小腹が空いて何か食べたくなったのである。
しかし、今日から実家にしばらく戻るので、自宅の冷蔵庫の中には何も残っていない。
何もないと思うとどうしても何か食べたくなるものである。
ふと毎年、神田明神のお札をいただくとき、紙袋に一緒に入っている煎餅のことを思い出した。
すぐに紙袋の中を見るといつものように箱が入っているではないか。
「助かった…」
つぶやきながら、僕は箱を開けた。
呆然とした。
「お茶漬け…。何故、今年に限って…。いつも煎餅だったじゃん」
あまりのショックに、布団の上に倒れ込むとそのまま眠ってしまった。
こういうときだけは僕の寝付きのよさは助かる。
というわけで朝を迎えたわけである。
そしてチホと正月恒例の福袋を買いに行くのである。
彼女と一緒に朝食を食べるまで我慢しようと車で迎えに行く。
「あっ、さっき、私、我慢できずにアンドーナツ食べちゃった…」
申し訳なさそうに、彼女はつぶやいた。
そう聞いた途端、僕は無性にアンドーナツが食べたくなり、夢遊病者のようにコンビニに立ち寄り、何年かぶりのアンドーナツを口にした。
こうして僕が2007年最初に口にした朝食はアンドーナツなのである。

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今年は、朝プロジェクト飛躍の年になりそうということで、こんな飛んでる写真から始めてみたいと思います。
何卒、よろしくお願い申し上げます。
ちなみに飛んでいるのは、アンドーナツを僕の脳に植え付けたチホであります。