松山で筋肉痛の朝を迎える。
筋肉痛には訳があって、昨日、松山駅前のバッティングセンターでバットをぶんぶん振り回したからである。
初めて、松山に来た時、僕は、子供ショーで旅をしていた。
友人の劇団新感線の吉田氏が子供ショーのデビューが松山ということで、当時は、「兄さん」と呼ばれていた僕が先輩として付き添いで来たのである。
というか行ったことのなかった松山に行きたくて、ついてきてしまったという方が近かったのかもしれない。
うっとしい先輩である。
今だから言うが、子供ショーより、鯛めしを食べ、地酒を飲みたい方が強かったのである。
こうして最低なイシコ兄さんは、デビューを翌日に控え、緊張している吉田氏を無理矢理、飲みに誘ったのだ。
吉田氏は乗り気ではなかったが、兄さんの誘いだからとつきあってくれた。
ちょうどホテルの近くが繁華街だったこともある。
酒も入り、僕の好奇心は留まるところをしらず、
「もう一軒行こう!」
とタクシーに乗り込んだ。
先輩失格である。
「兄さん、どこ行くんですか?」
「松山駅を見に行く。運転手さん、松山駅お願いします」
今から思っても、何故、僕は駅に行きたかったのかは判らない。
松山市駅とJR松山駅を間違えていたのかもしれない。
松山市駅なら、栄えていたのに。
とにかく僕らはJR松山駅に向かった。
降りる寸前、タクシーの運転手が言った。
「松山駅は何もないですよ」
僕らは閑散としている松山駅の前に降り立った。
確かに飲屋街など存在せず、バッティングセンターだけが目に入ったのである。
仕方なく、酔っぱらった身体で僕らは、バットを握った。
吉田氏はバットを振りながら、子供ショーのリハーサルを始めた。
僕は、バットを振りながら、観客の子供役になった。
こうして子供ショーのリハーサルが終わるまで、何度もコインを入れ、僕らはバットを降り続けた。
その思い出のバッティングセンターが変わらず(ひょっとしたら改築しているかもしれないが)今も残っていることが嬉しく、思わず、バットを握ってしまったわけで。
変わったのは、吉田氏が僕の呼び方を「兄さん」から「イシコ」になったことである。
今も代書を頼む人がいるのか、それとも代書の意味合いが変わってきたのか。
今回の四国旅で最後に考えた看板である。
このエントリーのトラックバックURL:
http://asa-pro.net/mt/mt-tb.cgi/151